私は20代前半のころ、職場の先輩に「大根」と陰口をたたかれていた。

なんとなくパッとせずうすらボンヤリとしていることの多い私は、キャリアばりばりで国内外問わずに活躍するアーバンな先輩にとって目障りな存在だったのかもしれない。

私は自分の田舎っぽいところがわりと好きだけどね。

 

私は埼玉県出身で、高校から都内の学校に通い始めたんだけど、同級生の中でも群を抜いて田舎臭かった。

高校は、JR・中野駅と西武新宿線・新井薬師駅の間にあった。

中野駅を使う子たちはとても垢抜けていて、学校帰りに制服を着替えて新宿や渋谷に遊びに行く子も多かった。

私はもちろん西武線ユーザーで、新井薬師駅の前には古びたラーメン屋と宝くじ売り場しかなかった。

JRユーザーが日増しにオシャレになっていく一方で、私の楽しみは「チエンリング」を学校鞄や名札に付けることだった。

 

あとはひたすらガリ勉をしていた。勉強とチエンリング以外に、興味が持てることがなかったのである。

時々気が向くと、ノートに「人生の名言」を書き写して眺めたりしていた。

20年前くらいに西武線に乗っていたこういう子はきっと私だよ。

 

田無でプリクラを撮って遊ぶ


そんな私にも、西武線チームで仲の良い友達ができた。

JR組に憧れる沙友里ちゃん、天パの奈々子ちゃん、ガリ勉栗子の三人で、西武新宿線の「田無」という駅でよく遊んだ。

田無には駅に隣接した商業ビルがあり、そこでプリクラを撮るのが定番で、時々下のクレープ屋さんで買い食いをしたりしていた。

 

慶応ボーイのナンパ待ちに挑戦


そんな健全を絵に描いたような三人だったが、色気づいた「沙友里ちゃん」が「慶応高校の文化祭に行って、ナンパ待ちをしよう」と言い出した。

当時スクールカースト上位の女子の中では、「偏差値の高い高校に通う彼氏を作り、その彼氏の学校鞄を持つ」というのがオシャレだと言われていた。

奈々子ちゃん&栗子は「あっしらはこうして毎日ごはんが食べられればいいですじゃ」とコツコツ畑を耕すタイプだったが、沙友里ちゃんは下剋上意識の高い女子で、JR組のようにキラキラしたJK生活に憧れていた。

慶応高校の文化祭当日。

学校の構内には入らず、ひたすら校門前でボンヤリする田舎者三人。

待てど暮らせどナンパはやってこない。

夕方になってようやく声をかけて来てくれたのは、慶応ボーイの中でもひときわ田舎感のする少年三人だった。

少年三人も私たちと同じようなメンバー構成で、一人「頑張ってる子」(名前は忘れたので、仮にK太としよう)がいて、あとの二人は状況が良く分かっていない、という感じだった。

 

6人でカラオケに行く


私たちは6人で、近くのカラオケに行くことになった。

当時モー娘。の『抱いてHOLD ON ME!』という歌がリリースされたばかりで、K太は私たちにそれを歌うようリクエストしてきた。

K太はこの喘ぎ気味の歌い方が気に入っているらしく、特に「抱いて抱いて抱いてア~ン」という部分を本気で歌ってほしいらしい。

私たち3人は当然男性経験がなく、「ア~ン」という声がどうすれば出るのかよく分かっていなかった。

ちなみに奈々子ちゃんと私はJ-popにも疎く、この歌のサビ以外は歌うのが怪しいという状態で、結果的に沙友里ちゃんがほぼ全部歌っていた。

奈々子ちゃんと私が、まるで内科で喉を診てもらう時のような「ア~~~☆」という間抜けな声を出した一方で

沙友里ちゃんは体を張った。

沙友里ちゃんは慶応ボーイの彼氏を作って、何が何でも鞄をゲットしたいのだ。

 

結局、沙友里ちゃんとK太がくっついた。

残りの4人はお互いにヘラヘラと苦笑いして別れ、二度と会うことはなかった。

 

今なら「もういいです」ってくらい喘げるよ


沙友里ちゃんとK太がその後どうなったのか、クラスが変わってからは疎遠になってしまって分からない。

私も今なら、喘ぎ声などという寝呆けたリクエストをされたら「アッアッアァァァァァ~~ン❤らめらめ~ん❤」等と余計なニュアンスまで加え、相手が引いて黙るまで咆えることができるようになった。

沙友里ちゃんは幸せに暮らしているだろうか。すっかり薹が立ったお年頃の3人で、また会ってみたいとも思う。