夏生まれの私にとって、夏の思い出は五感に染みついているのか、小さい頃過ごした夏のことをふと思い出すことがある。

小学生の頃は、夏休みになると母方のおじいちゃんの家に遊びに行っていた。

おじいちゃんは近くにある小さなデパートに私を連れて行ってくれて、そこのファミレスでよくクリームソーダを飲んだ。

キンキンにクーラーが効いている中、アイスとチェリーが乗ったキラキラした飲み物を飲むことは、これ以上ない幸せだった。

 


 

しかしそんな楽しい思い出がある一方で、三年生の夏。忌まわしき「ワニワニパニック事件」が起こる。

その日は誕生日のお祝いにおじいちゃんから「ザ・ボードビルデュオ」というサンリオキャラクターの財布をもらった。

それまで私が持ったことのある財布といえば、スイミングスクールのロッカーに使うための10円玉を入れていた、小さなファスナーがついたポーチだけ。

二つ折りの大人っぽいデザインのその財布は、三年生の私にとって充分に「お姉さんな私」を自覚させてくれるものだった。

さらにおじいちゃんは、財布に入れる頭金として二千円のお小遣いをくれた。

 


 

私はその全財産を入れた財布を持って、いつもおじいちゃんが連れて行ってくれるデパートにあるゲームセンターに行った。

私は当時、「ワニワニパニック」というゲームにハマっていた。

大きな口を開けて次々出てくるワニをハンマーで叩く「もぐら叩き」のようなゲームで、叩くと「イテッ」、叩けないと「ガブッ」と音が出るのが楽しい。

ハンマーで機械を思い切り叩けるのも爽快だったし、小さな子供でも高得点を出せることがあったので、三年生の私はまんまと夢中になっていた。

ゲームセンターでは母親に300円をもらい、ワニワニパニックを三回遊んだ。

普段は駄菓子屋で数十円をちまちま使っていた私にとって、300円をゲーセンで使うのは豪遊で、すっかり気を良くしていた。

しかし、「財布を持ち歩く」ということに慣れていないうえ、ワニワニパニックに夢中になるあまり、私はワニワニパニックの上に財布を置いてそのまま帰ってきてしまったのである。

家に帰ってきて財布がないことに気づき、母親と一緒にデパートに戻ったものの、時すでに遅し。ワニワニパニックの上に、私の財布はもうなかった。

 

私は、灰になるほど落ちこんだ。

この世にワニワニパニックさえなければこんな不幸は起こらなかったと、罪のないワニワニパニックを恨んだ。

おじいちゃんが買ってくれた財布を無くしたことも、おじいちゃんがくれた二千円という大金を落としたことも、お姉さんになったつもりだったのに早速ドジを踏んだことも、全部ショックだった。

 


 

私はいまだに、クリームソーダを好んで飲む。

そして事件以来、財布を落としたり、無くしたりしたことがない。

クリームソーダを飲むとすごく幸せな気持ちになるし、財布を落とすことを想像するだけで身の毛がよだつ。

良く言えば昔のことをよく覚えていて、悪く言えば引きずり過ぎなのである。

ツレ彦は、「昔の思い出はクラウド保存にして、脳みそのハードディスクは空けときなさいよ」と言う。まったくもってその通りだと思う。

 


 

ところでそんなツレ彦は、ひんぱんに財布を無くす。財布だけではなく、家の鍵、パスモ、携帯など、一通り無くしたところを見たことがある。そして一度無くしてもまた無くす。

ハードディスクを空けすぎるのも、これまた考え物である。

ハードディスクを常にパンパンにし、頻繁に熱を持ってブルー画面になる私と、ハードディスクはできるだけ軽く……あれ……クラウドに保存した!?してないでしょ!?というツレ彦。

うまくやっていけるのか。でも今のところうまくやっている。

この夏も、また結婚記念日がやってくる。

90歳を過ぎたおじいちゃんのところにも、また二人で遊びに行きたいと思う。